夫婦登山のブログ

アラフィフ登山初心者夫婦の山遊びの記録です

白駒池紅葉🍁北八ヶ岳白駒池周回ゆるハイクと白駒荘でカフェタイム

2023年10月7日(土曜日)紅葉の美しい白駒池へお出かけしてきました!

 

夫が双六岳で骨折し、7月末に手術を受けてから初めてのハイキング。

術後のリハビリを兼ねて白駒池を一周してきました。

長野県佐久穂町観光協会 https://yachiho-kogen.jp/article/shirakomanoike/

 

まだ粉砕骨折したところが完全にくっついてなく、どん!と足をつくことを禁止されているので、平坦な道を歩けるところ、と言うことで選んだお出かけです。

 

3連休初日の土曜日、朝6時の状況です。

駐車場は満車なので、しばらく走った先の空き地で転回し、対向車線の空き待ちの列に並びます。

駐車場入り口を過ぎ、しばらく走ると、

転回できるスペースが出てくるので、ここでUターン。

20台の列の最後尾に付き、駐車場に入れたのは2時間後でした。

(警備員さんが「普段は2~3時間待ちです」と説明されていました)

駐車場代は普通車1台600円で、トイレもありますが1回50円のチップ制です。

 

それでは出発です!


 

今回は池を一周する2kmほどのハイキングです。

昨年の年末は、高見石に上る冬山登山を楽しみました。

その時の動画はこちらです。

youtu.be

今回は、2か月前に骨折手術をし、今日初めてのリハビリハイクなので、無理のない程度で楽しみたいと思います。

この日はかなり寒く、極度の寒がりな妻はダウンジャケットの下にフリース着、さらにはフリース手袋をして完全防備して行きちょうど良い状態、夫もダウンジャケットを着こんで行きましたが、途中で暑くなり脱ぎました。

白駒池を周回するコースのほとんどが木道が整備されているため、リハビリ中の夫でも楽に歩くことができそうなのでここを選びました。

しばらくは美しい苔の道が続きます。

美しく、そしてどこか可愛い苔の世界。

左に行くと青苔荘(せいたいそう)、直進すると白駒荘、右に行くと高見石の分岐に到着。

青苔荘方面もしくは、白駒荘方面、どちらから行ってもぐるっと一周できるので、どちらに行っても良いのですが、青苔荘の桟橋から見た紅葉が美しいそうなので、まずは左に行ってみます。

ゆっくり歩いても20分ほどで青苔荘に着きました。

青苔荘の正面にある通路を右に進むと桟橋が出てきます。

さあ、紅葉の具合はどうでしょうか?!


 

紅葉している木が見えてきました。

まずまずの紅葉ではないでしょうか。

桟橋の方に出てみると、

おお~、なかなかの紅葉ではないでしょうか!

少し角度を変えて。

似たような写真がいくつも増えてしまいます。

皆が、良い写真を撮りたいので順番に撮影していく感じです。

白駒荘側からも綺麗に見えるそうなので、池の周りをぐるっと回って行ってみます。

青苔荘まで戻り、白駒荘方面へ向かいます。

青苔荘ではいろいろ軽食ができるようです。

でも、今日は白駒荘でお茶をするつもりなので、ここでは我慢。

青苔荘の前は板張りのテント場になっていて、いくつもテントが張られていました。

白駒池の周回コースは、そのほとんどに木道が敷かれていて、足首骨折のリハビリ中の夫にも優しいコースになっています。

所々に説明の看板も設けられていて、しっかりと整備されているのが分かります。

一面、苔に覆われた世界。

だいぶぐるっと回ってきました。

先ほどまでいた、青苔荘の桟橋も見えます。

高見石小屋へ続く分岐に到着しました。

昨年の冬に、高見石小屋まで行って、名物の揚げパンを食べてきました。

youtu.be

9:40 白駒荘に到着です。

まずは、桟橋に出て紅葉を眺めてみます。

こちらからの景色も良いですね。

ただ、まだちょっと紅葉の見ごろには早かったようです。

昨年に冬にここに来たときは、この白駒池全体が凍っていて、池の上に乗ることができました。

これが冬になると全部が凍ってしまうなんて、とても信じられないです。

9:45 白駒荘でお茶して帰ろうと思います。

カフェは10:00から、ランチは11:00から。

できればランチを食べて帰りたいところですが、それまでは待てないのでカフェでケーキを食べたいと思います。

今日は天気が良いので、待っている間も苦になりません。

食いしん坊夫婦は、10:00になると同時に一番乗りで入店します。

10:00からのカフェメニュー。

11:00からのランチメニュー。おいしそう。

ケーキは入り口のショーケースの中から選んでオーダーし、店内に入ります。

妻はホオズキのレアチーズケーキ、夫は寒いので、温かいおしるこを頼みました。

白駒荘の店内は、こんな素晴らしい景色が見られます。

特等席です!

妻が頼んだホオズキのレアチーズケーキと、紅茶が来ました。

こちらは夫が頼んだおしることコーヒー。
冷えた体も温まりました。

まったりと良い時間が過ごせたので帰ります。

朝はまだ日の差していなかった森に太陽の光が差し込み、苔の緑が鮮やかに見えます。

11:30 駐車場に戻ってきました

普通に池を一周すると45分程度の距離ですが、リハビリハイクなので、ゆっくり歩いて、写真も撮って、白駒荘でのんびりカフェタイムも楽しめ、良い休日となりました。

駐車場待ちはまだまだ長い列が出来ていて、朝より多い27台待ちになっていました。

駐車場での2~3時間待ちをしたくない場合は、八千穂高原スキー場から無料のシャトルバスが運行しているのでそちらを利用する方法もありですね。

南佐久北部森林組合 http://hokubu-f.jp

 

ついさっき、白駒荘でお茶したばかりですが、妻がお腹が空いた!と言うので、お昼ご飯を食べに行くことにしました。

白樺が立ち並ぶ林道をしばらく走り、

ロッジ八ヶ嶺(https://www.yatsugane.com/)さんに到着。

昔ながらの、町の食堂といった雰囲気のお店。

先にレジで注文してお金を払い、席で待つ半セルフ方式。

ビールは自ら冷蔵庫から持ってくるスタイル。

夫はソースカツ丼

妻は、山女魚の唐揚丼と新そばセット。

ボリューム感がハンパない!

この山女魚の唐揚が香ばしくて甘辛のタレが合ってて、めちゃくちゃ美味しい!

頼む価値ありです。

 

久しぶりに自然の中で過ごす休日は、のんびり癒されました。

白駒池、次回はもうちょっと紅葉が進んだタイミングで行けたらいいです。

 

 

退院後のリハビリ生活<下山中に足首骨折>

怪我部分の画像を掲載している記事になります

8/5 術後8日目

まだ入浴はできませんが、シャワーは許可されたので、退院後は自宅でシャワーをすることができました。

入院中のタオルで体を拭くだけとは違い、シャワーの気持ち良さは格別です。

シャワー後は血流を良くするために毎日妻がマッサージをしてくれました。

感謝です。

退院時に処置をしてもらったガーゼや固定具は外れず、次の診察まではそのままの状態。

ただ、包帯のズレや圧迫防止のために、自宅でも1日2回、包帯を巻き直すことを勧められ、これも毎日妻がやってくれました。

感謝です。

 

8/10 診察 術後13日目

診察後、ギプスを外しても良いということになりました。

術後1ヶ月ぐらいはギプスをつけた状態なのだと思っていましたが、13日目でギプスが外れることになりました。これで足首が動かせるようになります。

その後、抜糸もして頂き、診て頂いた感じでは内果は良さそうだが、外果の皮膚が少し壊死しているように見られるため、皮膚の再生を促すプロスタンディン軟膏を塗って様子を見ていくことになりました。

そしてここから並行してリハビリもしていくことに。

まずは1人でもできる簡単な運動として、硬くなってしまっている足の指先を持ち上げる運動をするように指導がありました。

 

8/12 術後15日目

傷口からバイ菌に感染して骨の再生に影響しないよう、自宅でも病院と同じような処置ができる環境を妻が整えてくれました。

洗浄用の精製水や、滅菌済のガーゼ、防水フィルムなど。

ダイソーで購入した絆創膏や薄いフィルム

 

↑病院で購入した絆創膏(ダイソーのより5倍くらい高い)

 

診察に行ったついでに病院の売店で買ったり、近所のダイソーやセリアでも多くの医療用品を揃えることができ、特に100均の品揃えには驚きました。

 

8/14 リハビリ 術後17日目

まだ完全免荷(かんぜんめんか・一切の荷重をかけてはいけない状態)のため、リハビリの先生がマッサージをしてくれて終了。
とにかく元から関節が固いので、家でもよくマッサージをするようにと指導をされました。
特にアキレス腱が固まってしまっていて、足首が上に曲がらないような状態のためアキレス腱をしっかりとマッサージしてほぐしていく。

 

8/15 術後18日目

お盆休みは今日までで、明日から仕事が始まる。

繁忙期なのに1ヶ月も休んでしまい、会社の同僚達には多大な迷惑をかけたということで、どうしても皆に謝罪して回りたかったので、コストを抑えつつ、お礼の気持ちを個人個人に伝えらるよう、シャトレーゼで焼き菓子を大量に買い込み、妻と二人で100均の包装資材やリボンをつける内職をしてお礼の品を作った。
妻のセンスも良く、かなり見栄えの良いものが出来ました。

それでも総額3万円くらいかかりました。

それとは別に家族へのお礼とか、入院費の支払いとか、色々出費があるので備えの大切さを実感…。

 

8/16 職場復帰 術後19日目

お盆休みが明け、骨折後初めて出勤の日。
普段は自宅から最寄りの駅まで自転車で行き、そこから電車に乗り、駅から徒歩15分ほど歩いて通勤していました。
ですが、まだ傷口が完全に塞がっておらず、そこからバイ菌が入って感染することを避けたいということと、この道のりを松葉杖で通うのは難しいということで、当面は妻が往復3時間の道のりを1日2往復して送り迎えをしてくれることに。
あまり運転が得意ではない妻なので、なるべくなら車に乗る頻度は減らしたいところなのですが、ここはお願いするしかない。


久しぶりに出勤した会社では、1ヶ月もの間、多くの同僚達が協力して私の穴を埋めてくれていました。本当に感謝です。
1人づつに、シャトレーゼのお菓子と感謝の言葉を添えて挨拶し、無事に職場復帰ができました。

 

8/17 診察 術後20日

入浴の許可はまだ出ず。

外果の黒い部分(死んだ細胞)が広がっていくとあまり良くないのですが、見る限りはかさぶたのような感じで剥がれてきそうなので大丈夫でしょうとの診断がありました。
術後1ヶ月は完全免荷の状態だったのですが、来週から少しずつ荷重をかけて歩く練習をしていくとのこと。

仕事に行き出し、松葉杖である程度の距離を歩くようになり、一番苦労したことがこれ。

人間の知能を超えるAIも登場しようとしているこの時代なのに、この松葉杖の持ち手だけは何故に何も変わらないのか。

ここに手を置いて体重を支えていると、手掌が痛くなって杖をつくのがとても辛い。

足が悪いのに、その上、手まで痛めてしまったらどうにもならない。

と言うことで、試行錯誤してなるべく手に負担がないように工夫をしていきました。

バージョン1はこちら。

100円均一で売っているクッションを分解して、中のウレタンを巻き付けたバージョン。

最初は良かったのですが、1日も使っていると荷重によりウレタンがペラペラになってしまい意味がなくなりました。

バージョン2が左側。

不要なタオルを巻き付けてみました。

クッション性はまずまずですが、雨などに濡れると乾かずにずっとそのまま。

そしてバージョン3が右側。

使い古しのヨガマットを切って巻き付けたバージョン。

クッション性、反発性、耐水性に優れ、結果的にこれで最後まで生活しました。

街中を歩く松葉杖をついている人のほとんどが、この部分にタオルを巻き付けていたりするのを見かけるので、松葉杖メーカーさん、ここなんとかしてください!

 

8/18 術後21日目

傷口に貼ったガーゼにはまだ少し血が滲んでいる状況。

皮膚の再生を促す薬の効果か、どんどん皮膚が出来てきている感じはあります。

8/20 術後23日目

仕事に行くようになり、帰宅後は足が浮腫んでパンパンに腫れてしまうため、少しでも循環を良くするためにゆるめのネット式包帯を買ってみたり、松葉杖を使うと両手に何も持てなくなるので、家の中では立ち膝でも動けるようにするニーパッドや、足首を締めない介護用のゆるめの靴下を買ってみたり。

これら全てダイソーで揃うというのが素晴らしい。
ダイソーにないものはないんじゃないかな?

 

8/22 術後25日目

お盆明けから仕事に復帰したものの、まだ職場までは妻が車を運転をして往復してくれていました。

 

休日の旅行などで数百キロ走行するのも私は苦ではないですが、そんな私でも1日に同じ道を2往復するのは嫌だし、疲れると思うのに。

 

ということで、なるべく妻の負担も減らしたいので、最寄りの駅までの送り迎えだけしてもらい、そこから職場までは電車とバスを乗り継いで行くことにしました。

そして、松葉杖で街中を歩いてみると、いろんなことに気づきました。

普段意識すらしたことがなかった、ちょっとした階段に設置されているエレベーターのありがたさ、電車やバスの優先席のありがたさ、松葉杖を見て席を譲ってくれる人の優しさ、松葉杖で長い距離を歩くことの大変さ。

自分の足に不自由がなくなったら、改めて周囲の人に気遣いをしたいなと思いました。

 

8/24 診察 術後26日目

外果側の少し壊死している感じとされていた黒い皮膚が気になっていましたが、診察時に先生が触ったところ、かさぶたのようにペロリとめくれ、下から綺麗な肌が出てきたので安心しました。

レントゲン上も異常なしで安心しました。

 

8/30 リハビリ 術後32日目

先週のレントゲンも問題なく、医師から荷重OKの許可が出たため、リハビリで1/3荷重を掛けていくということになりました。

私の体重が約70kg、その1/3で約23kgぐらいの負荷が右足にかかるよう意識して、松葉杖を2本使用して歩いていく。
右足だけ体重計に乗り、20~23kgの負荷をかける感覚を覚える練習を何度かしてみましたが、比較的上手に負荷がかけられているとのことだったので、通勤時などもこれを意識して、リハビリをしていく。

 

9/7 リハビリ 術後40日目

1/3荷重で過ごしても痛みなど出なかったので、リハビリにて2/3荷重となる。
両足で立った状態は1/2荷重なので、それ以上に右足に負荷をかけていくことを意識。
松葉杖は左手側の1本になり、少し右足を踏み込むぐらいの感覚で2/3荷重をかけていく。

この荷重のかけ加減が難しく、逆に負荷をかけ過ぎると全荷重になってしまう。

それでも来週から全荷重になる予定と言われ、こんな早いペースで松葉杖を取っていくのかとやや不安にもなりました。

ただ、今まで松葉杖で両手がふさがっていたところ、片松葉になったことにより、片手が空き、傘がさせるようになったことがとても大きく、仕事の上でもほぼ他の人に迷惑をかけることがなくなりました。

これと同時に、台に手を着いた状態でつま先立ちをする運動を勧められ、筋力強化もしていく。

 

9/12 リハビリ 術後45日目

全荷重となり、とうとう松葉杖が要らなくなりました。

リハビリの場では杖なし歩行で、2本足で歩くことはできました。
筋力が落ちているものの、足首やふくらはぎの筋肉で体を支えることはできているとのことで少し安心しました。
ただ、通勤時には長距離を歩く不安があったので、片松葉で歩き、オフィス内では松葉杖を使わずに歩いてみて、特に問題はなさそうなのでこれを継続していく。

つま先立ちのストレッチを1日100回を目標に行う。

こうして見ると、右足のヒラメ筋のふくらみが寂しく、やはりしばらく使っていなかったら筋肉は落ちてしまうんだなと実感しました。

それと合わせてアキレス腱伸ばしを30秒x2セット。
右足だけでなく、左足もやり、その際には右足に重心をかけて行う。

この通り、可動域の左右差に大きな違いがあり、右足は冗談でやっているのか?ぐらい曲がっていない。

1か月で随分硬くなってしまった足首。

これをストレッチをして少しづつ可動域を広げていく。

 

9/16 久しぶりの車の運転 術後49日目

全荷重となった際に、「車の運転は様子を見ながら」と言われたので、瞬時にペダルを踏みかえ、急ブレーキをグッと踏み込めるかを確認し、運転をし始めることにしました。

この2か月間、どこに行くにも常に妻が運転をしてくれ、出かけた先では大好きなお酒も我慢してくれていたので、久しぶりに私の運転で寿司屋へ。

外食したら必ずお酒が飲みたくなる妻、だけど帰りも運転をしないといけないということを考え、この2か月間外食自体をしていませんでした。

「助手席に乗れたことが嬉しい」と言った妻の言葉に込み上げるものがありました。

久しぶりの外食で、お酒も楽しめた妻、今まで支えてくれてありがとう。

これからはまた好きなだけ呑んでください。

 

9/28 久しぶりの自転車 術後61日目

松葉杖なしで、2本足で歩けるようになったので、駅まで妻に送り迎えしてもらっていたところを自転車に乗って自ら行くことにしました。

医師、リハビリの先生ともに、「自転車は運動にもなるし、足の可動域を広げることにもつながるので、乗ることは良いです!でも気を付けてくださいね」と言われました。

実際に乗ってみて、登り坂も問題なく漕ぐことができたので、あまりスピードを出しすぎないように安全運転で自転車通勤を再開しました。

 

10/7 久しぶりのハイキング 術後70日目

ゆっくりと歩けるようになったので、リハビリを兼ねて白駒池を一周するハイキングへ。

その時の動画はこちら。

youtu.be

 

10/20 リハビリ 術後83日目

リハビリの先生の指導の下、タオルギャザーや

片足でのつま先立ちなど、

←術後45日      85日→

段階的にいろいろな運動を組み込んでいき、順調に可動域も広がり、日常生活では困ることはなくなりました。

10/21 診察 術後84日目

久しぶりの診察。

特に骨折部分に痛みもなく、レントゲンの結果もズレもなく良好とのこと。

折れていたところも少しずつ骨が出来てきているとのことで、安心しました。

ただ、まだ足の腫れは続いており、関節が曲がらないので歩く時も引きずって歩き、早歩きはできません。歩く際の足の甲の痛みもあります。

これは先生から「日にち薬」と言われています。

今後は継続的にストレッチや運動をして可動域を増やして行き、目安は12月頃(術後5~6か月程度)に軽く走れるぐらいにまでなれればということでした。

 

手術・術後・退院<下山中に足首骨折>

 怪我部分の画像を掲載している記事になります 

 

〇7月28日(金)手術当日 <入院11日目>

12時40分。

あと20分で手術室へ移動するためのお迎えが来るということで、浴衣に着替えました。

病院が用意してれるものもあったのですが、すでに妻が用意してくれていたのでこちらを着用。

下着はまだ着けたままで良く、手術室に移動してから脱がされることに。

事前の説明で、身に着けている貴金属類はすべて外しておくこと。というのがあったので、指輪を外していきます。

無事に帰ってきて、またはめます。

 

〇手術中

時間が来て車椅子に乗り込み、看護師さんが手術室まで押してくれる。

さすがに少し緊張してきた。

手術室のドアが開くとそこには看護師さんが3名待機していた。

名前の確認、手術箇所の確認をし、中へ通される。

 

そこは、よくテレビなどで見かける、「ザ・手術室」という感じの部屋で、中心にベッドが配置され、天井には大きな照明、周囲にはいろんな機器類、ディスプレイが配置されていた。

そしてなによりも人の多さにびっくり。

主治医の先生、執刀医の先生、看護師さん3名、放射線技師さん?2名、と、その後もどういう人なのか、入れ代わり立ち代わり、かなり多くの人が出入りしていた。

ベッドに横になると、すぐさま3人の看護師さんが取り囲み、一斉にそれぞれの準備をし始める。みなさん手際が良い。

 

そしてついに一番嫌だなと思っていた、脊髄くも膜下麻酔(腰椎麻酔)を受けることに。

少し背中を丸め、空いた脊髄の隙間から神経の近くに麻酔を注入する方法。

太い注射針を背中に刺すイメージで、この針が痛いんだろうなと覚悟していったのですが、いざやってみると、「えっ?もう今刺さってるんですか?」と聞いてしまったぐらい、一瞬チクっとした程度でほとんど痛くありませんでした。

麻酔が注入されはじめると、徐々に足が温かくなる感覚が広がり、少しずつ自分の意思で足を動かすことができなくなってきました。

麻酔の効き具合を確認するために、看護師さんがアルコールをつけたガーゼで数か所を触り、冷たさを感じるかどうかを確認する。

私の場合は少し麻酔が効くスピードが遅かったようで、通常よりも待機している時間が長かったよう。

麻酔が効くのを待つ間に、もうひとつ嫌だと思っていた、尿道カテーテルをつけられた。

「陰茎の先端から管を通される」なんて、とてつもなく痛いのではないかと、とてもドキドキしていたのですが、麻酔が効き始めてから作業してくれたので、まったく痛みも、感覚もなく、これもまた「えっ?もう入ってるんですか?」という感じで終わりました。

助かった。

その後麻酔が完全に効き、手術が始まる。

予定では4時間の手術で、意識だけはしっかりとあるので、その間、たぶん自分は暇なんだろうなと思っていましたが、案の定、なにをするでもなく暇。

その後も手術室には、研修医なのか、これから医者になる学生なのかが見学に来たようで、執刀医の先生が手術をしながら世間話をしているのが聞こえてくる。

人によっては、「おいおい、手術中におしゃべりなんかしないでくれよ」と思う人もいるかも知れませんが、私の場合は、それぐらい余裕でやってくれた方が安心かもしれないと思いました。

 

最初は外側(外果)にプレートを入れていく手術。

なかなか準備に時間がかかっているようで、その間に眠くなり少し眠ってしまった。

手術中はどうせ暇だろうから、なんとか寝てやろうと思い、午前中に少し眠たくなったところを我慢しておいたのが正解だった。

そして看護師さんに起こされ、

:「もう始まってるんですか?」

 看護師:「はい、始まってます」

:「もう足を切り開いてるんですか?」

 看護師:「ちょうど今開いているところです」

:「こんな機会めったにないので、自分で見れたりします?」

 看護師:「少し見ます?あまり見たいって言う人はいないですけど」

と言いながらも手元のモニターに映して、手術部分を見せてくれた。

そこには皮膚を切り開かれ、器具で固定され、骨が見えている足の映像があった。

これはなかなか衝撃的な光景。

ただ、完全に麻酔が効いているため、それが自分の足で今まさに手術をされている光景というようには見えず、他の誰かの手術シーンを見ている、そんな不思議な感覚でした。

 

15時半に外側(外果)の手術が終わり、手術室内にはひと段落した雰囲気が漂っていましたが、続けて内側(内果)を手術していかなければいけないのに、予定の17時までに終わるのかな?と考えていたら、やはり予定よりも時間がかかってしまっているとのこと。

そして、完全に麻酔が効いていた時よりもなんとなく触られている感覚が戻ってきているような気がしていた。

医師:「予定よりも時間がかかっています。このままいくと麻酔が切れてくるかもしれないので、麻酔を延長させるために神経ブロックを打っていいですか?」

と確認が入り、

 :「いや、私もなんとなく感覚が戻ってきているような気がしたのでお願いします!」

と即答。

手術中に麻酔が切れて痛みを感じ出すなんて、そんなの恐ろしすぎる。

手術中は医師他、多くの人がしゃべっているのが聞こえ、電動ドリルの音や、ハンマーのようなものでたたいてその振動が体に伝わってきたりと、なんだか手術ってDIYだな、なんて思って笑えてきました。

その後、無事に内果の手術も終わり、完全に手術が終わったのが18時半、結局5時間半もかかる手術となりました。

先生他、スタッフの方々、長時間頑張ってくださりありがとうございます。

手術は体力ということでは自分も頑張らないといけないですが、どちらかというと、手術室内にいるスタッフの方々が頑張ってくれるんだと実感しました。

麻酔のおかげで手術中は傷口が痛むことなどは全くなかったのですが、長い時間中途半端に斜めな角度で寝ていたため、腰がとても痛くなりました。

そして、手術をする右足太もも部分に止血のためのバンドを長時間されていて、このバンドの締め付けが手術中一番痛かった。

手術後10日経過してもまだ痕がくっきりと残っていました。

 

〇手術後の夜

●19:00

無事手術室から部屋へ戻ってきました。

喉が渇いているのですが、手術が終わった時刻から4時間は飲食禁止ということなので、22:30まで何も飲むことができません。

そして思っていた以上に身動きが取れません。

腕には点滴の針が刺さり、

膀胱からつながる尿道カテーテルの袋がベッド下に設置されている。

この尿道カテーテル、自分のイメージでは、「尿意を感じて排尿をしようとしたら、管を通って排出される」と思っていましたが、「尿意を感じる前に常に排出されている」と説明がありました。

右足は常に高めに上げておかないといけない。

 

●23:15

麻酔が切れてきて、だいぶ手術箇所が痛んで来ている。

外側よりも内側に、ズキズキとした痛みがある。

ただ、指先の感覚がまだないので、麻酔も切れきってはいないのでしょう。

さらにこれから痛くなる可能性もありそうで、恐ろしい。

22:00から痛み止めの点滴を打ってもらってはいるので、これでも多少は痛みは軽減されているのか、それでも痛い。

 

●翌1:30

とても寝ることなんてできない激痛。

麻酔が完全に切れるとこんなにも痛いのか。

足を上げたり、他の部分を揉んだり、どんなことをしても痛い。

手術なんて二度としたくない。

そんな激痛に耐えながら一晩を過ごす。

骨折をして下山をしてくる時よりも、手術後の麻酔が切れた時が一番痛かった。

 

〇7月29日(土) <術後1日目、入院12日目>

結局、あまりの痛みに前日の晩からほとんど寝れずに、悶絶していたら夜が明けました。

朝食の時間にご飯が運ばれてきましたが、痛みを我慢しながら食事をする。

救いは朝食と一緒に痛み止めの薬が処方されたので、これが効いてくれることを願うのみ。

尿道カテーテルを抜くタイミングは個人の判断ということだったので、前日に抜いてもらっても良かったのですが、点滴をしながら自らトイレに行くのは面倒だなと思い、点滴を抜く時に一緒に抜いてもらうようにお願いした。

そして翌朝10時、点滴とカテーテルを抜いてもらっいました。

カテーテルを入れる際は麻酔が効いていたので全くなにも感じなかったのですが、今回は麻酔も切れた状態なのでドキドキしましたが、一瞬、「うっ!」という、痛いという感覚ではなく、なにか熱いものが尿道を通過したぐらいの感覚で終わりました。

良かった。

そして、他の方のネットの記事には「尿道カテーテルを抜いた後、数日間は排尿時に痛みを感じる」というのを読んでいたので、これまたハラハラしながら排尿してみたのですが、まったく何も痛みもなく、いつも通りの感覚で排尿が出来て一安心しました。

 

午後からはリハビリの予定が入り、手術した翌日からすぐにリハビリってやるの?と驚きましたが、まずは手術していない他の部位の筋力をなるべく落とさないよう、ベッド上でできる簡単な運動を教えて頂きました。

 

夕方、包帯の巻き直しの際、手術後にあてていたガーゼを通り、外の包帯にまで血がにじんでいて心配になりましたが、朝から変わりはなく、すでに血が止まっているという判断で、これは心配ありませんとのこと。

これだけ血が付いた包帯はさすがに取り換えて欲しいなと思っていたのですが、そのまま使用して巻き直しをしていたので、これが普通のよう。

 

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、豆腐とエビの炒め物、みそ汁、ゆずみそ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、白身魚のフライ、スナップエンドウ、じゃがいもの炒め物、帆立サラダ
〈夜ごはん〉ご飯180g、すき焼き風煮、茄子のみそ炒め、マカロニサラダ、マヨネーズ、ヤクルトカロリーハーフ

 

〇7月31日(月) <術後3日目、入院14日目>

だいぶ痛みはなくなってきて、夜も普通に寝られるようになってきてました。

痛みのレベルは、手術後の夜の痛みを10とすると、もう2ぐらいにまでなってきています。

朝昼晩の食後に処方されたロキソニンを飲んでいるので、この痛み止めが効いているのか、単純に痛みが落ち着いてきたのかは分からない。

指先のしびれはまだあるものの、触った感覚はかなり戻ってきています。

午後にはまたリハビリがあり、暇さえあれば、指先を上側へそらせるようなマッサージをしてくださいとの指導。

また、初めて松葉杖を使う練習があり、これはポイントだけ教えて頂いたら問題なく使用できました。

今まで松葉杖なんて使ったことがありませんでしたが、いざ使ってみると、普段なにげにやっていることが何一つ出来ないということに気づきます。

左足一本で立ち上がることの不安定さ、勝手に締まる扉の出入りのしにくさ、片手になにかを持って歩く、ただそれだけのことも難しい。

バリアフリーのことや、ユニバーサルデザインについて調べる機会にもなりました。

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、厚揚げの肉あんかけ、みそ汁、ゆずみそ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、そぼろ丼、筍と人参の煮物、ほうれん草サラダ、マヨネーズ
〈夜ごはん〉ご飯180g、海鮮八宝菜、じゃがいものきんぴら、キュウリとささみのごまだれ和え、ムース

 

〇8月2日(水) <術後5日目、入院16日目>

朝の回診で術後初めて包帯をほどき、傷口をチェック。

傷の状態としては悪くないとのこと。

多少しびれが残っていて、まれに多少のしびれが残ってしまうこともあるそうですが、腫れの影響もあると思われ、次第に消えていくのを待つしかなさそう。

この状態を見て、明日退院しても良いとの判断が下り、翌日の退院が決定しました。

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、コンソメ煮、みそ汁、いわしふりかけ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、サバの塩焼き、大根おろし、カリフラワー、肉じゃが、白菜の胡麻和え
〈夜ごはん〉ご飯180g、麻婆豆腐、春巻き、サラダ、マヨネーズ、杏仁豆腐

 

〇8月3日(木) <術後6日目、入院17日目>

退院の朝、最後の病院食を頂く。

ご飯180g、厚焼き玉子、鶏ささみ和え、みそ汁、味付け海苔、牛乳。

なかなか寂しい内容ですが、文句は言えません。

お世話になりました。

そして妻が迎えに来てくれ、無事に退院することができました。

 

17日ぶりに出た外の世界は、「暑い」

ずっとエアコンの効いた病院内で過ごしてきたので、汗をかくなんてことはなかったのですが、この暑さの中で松葉杖をついて移動をするとなるとなかなか大変そうです。

帰宅後は私の好物の妻の手料理と、ケーキで退院祝いパーティー

太ると足に負担になるのでほどほどにしておかないといけませんが。

術後1ヶ月は一切荷重をかけてはいけないということなので、少しずつリハビリを進めて行き、まずは二本足で普通に歩けるようになることを目指します。

 

手術までの入院生活<下山中に足首骨折>

 怪我部分の画像を掲載している記事になります 

〇7月18日(火) 午後から入院 <入院1日目>

おそらく怪我の影響だとは思われるが、発熱があったため、コロナの検査で陰性の結果が出るまでは隔離のために、1日あたり15,000円もかかるという個室の病室を使わせて頂く。

室内にはソファ、多目的トイレ、洗面、32インチテレビ、冷蔵庫まで完備。
それにしても、1日15,000円か、普通に温泉旅館でも泊まれる金額だな。

 

入院決定と共に、「入院診療計画書」なるものをもらった。

これによると、手術後13日目に退院となっていて、そんなに長期間入院していないといけないのかと愕然とした。

急に会社を休むことになり、誰にも引き継ぎができぬまま入院が決まってしまったため、なんとか会社と連絡をとる手段を得たくて、会社に依頼してノートパソコンを貸与してもらう。
車で会社まで往復3時間かかる道のりを、妻に走ってもらいパソコンを引き取りに行ってもらった。
そもそも、あまり運転を得意としない妻なので、なるべく車を運転する機会は減らしたいものの、頼らざるを得ない。
くれぐれも事故のないように安全運転でお願いした。

これだけ腫れていると、手術後に縫合した際に皮膚が引っ張られて傷口がくっつきにくくなるということで、まずは、とにかくこの腫れが引くのを待つしかないとのこと。

夕食前に先生が病室に来て、処置をした。

表面にできていた水疱をつぶし、化膿止めを塗り、ギプス固定となった。

入院初日はこんな感じのご飯でした。

普段おなかいっぱい食べているので、ちょっと物足りなかった。

<夕食>ごはん180g、ぶりの煮物、付け合わせに菜の花、里芋と人参の煮物、野菜の酢の物、ヤクルトカロリーハーフ


〇7月19日(水) <入院2日目>

朝、包帯の巻き直し。
1日に2回、朝、夕と包帯を巻き直して頂き、腫れ具合をチェック。
当然のことながら、まだ足はパンパンに腫れ、ひざ下から真っ赤な状態。

足の甲も全体が内出血したような青白い感じ。
足を固定して1日、足のかかと部分が湿気がこもったもか、白くふやけてしまっている。
ふやけ対策として、間にスポンジを入れてくれた。

入院時に先生が水疱を一度つぶしてくれたのですが、また新たに水疱もできている。
転んだ際にこすれたのか、足の甲部分からも体液がにじみ出ている。
とにかく今は足の腫れを引かせることに集中ということで、基本はベッド上で安静で、怪我をした右足はなるべく心臓より上にあげておく。

そうなると寝たきりのようなことになってしまうため、エコノミークラス症候群を避けるために、エアーマッサージ機のようなもので、左足の血流を促す。

コロナ対策で面会が1日1回15分の制限があるため、午後に妻が来てくれ、院内の洗髪室を借りて15分で洗髪をしてくれた。
基本、毎日髪は洗いたいので、洗髪してもらってとてもスッキリした。

今回の双六岳登山で使用したメリットのドライシャンプーがあったので、病院に持って来てもらったのですが、


 

登山でかいた汗をぬぐう程度であれば良いですが、やはり洗髪の気持ち良さには敵わない。

 

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、肉団子のコンソメ煮、味噌汁、いわしふりかけ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、鯖の塩焼き、大根おろし、カリフラワー、肉じゃが、白菜の胡麻和え
〈夜ごはん〉ご飯180g、麻婆豆腐、春巻き、野菜サラダ、杏仁豆腐

 

○7月20日(木) <入院3日目>

朝先生がみえて、来週の金曜日28日を手術の予定日として考えていると説明があった。
先日の「入院診療計画書」では、手術後13日目で退院となっていたので、その手術ができるまでにまだ1週間以上ある。時間がかかるな。

医師:「局所麻酔なので、自分の意識はあります。触られている感じは残り、音や話し声は聞こえると思います」

:「ゴリゴリされてる感じとか分かるんですか?」

医師:「触られている感じは分かると思います。でも寝てる人とかもいますよ」

ということで、中には寝ている強者もいるそうなので、できればそうしたい。

指先は少し腫れが引いてきている感じだか、水泡がまだあり、じゅくじゅくしている状態だと手術後に菌に感染もしやすくなるということで、なるべく水泡もなく、乾燥した感じで臨みたい。

この後、また妻が来てくれて今度は体を拭いてくれる。

コロナウィルスが5類に引き下げられたとは言え、病院内はまだまだ厳重にコロナ対策がされており、面会時間も15分しか与えられていない。

その中で毎日病院に通ってくれ、洗髪、体拭きをしてくれる妻には感謝しかない。

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、厚焼き卵、鳥ささみ和え、味噌汁、海苔、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、カレー、メンチカツ、カリフラーとブロッコリーのサラダ、福神漬
〈夜ごはん〉ご飯180g、天ぷら、大根おろし、冬瓜と油揚げの煮物、春雨サラダ、ヤクルト

 

○7月21日(金) <入院4日目>

これまで、コロナ対策と、大部屋の空きがないという理由で、1泊15,000円の快適な個室に無料で入らせてもらっていたが、遂に大部屋に空きが出来たということで、急遽大部屋に移動が決まってしまった。

さよなら、快適な個室。

移動してきた大部屋については、テレビもあり、消灯後も使用できる手元の電気もある。

ただ、スペースが狭いため車椅子を置いておくことができず、トイレに行く際に毎回ナースコールを押して車椅子を持って来てもらわらないといけなく、少し不便なところはある。

4人部屋でその他3名の方がご老人のようで、夜間の吸引やオムツ交換の際に、耳が遠いお年寄りに聞こえるように看護師さんやヘルパーさんが大きな声で話すので、あまり眠ることができなかった。

やはり大部屋で過ごすには、この音問題を解決することは必要だと思いました。


 

私は持っていたワイヤレスのヘッドホンをして音楽やら動画やらを見ていましたが、やはりそれでも周囲の音は少し気になりました。


 

あと、会社に電話をかけたくても、なかなか大部屋では電話もしづらい。

そしてこの大部屋で何日も過ごすのはちょっとシンドイかなということで、個室の料金を調べたところ、1日あたり15,000円と、11,000円の個室がありました。

私が加入していた医療保険は1日あたり10,000円の入院保障が出る内容だったため、手術代や治療費、給食費とは別に、1日あたり1,000円の負担であれば、家計で賄えるかなということで、11,000円の個室を希望してみました。

ですが、15,000円の方はすぐにでも空きがあるが、11,000円は人気で今は空きがないということで空きが出るのを待つことに。

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、厚揚げのみそ炒め、みそ汁、ゆずみそ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、鰆、焼ネギ、ひじきと油揚げの煮物、サラダ、マヨネーズ
〈夜ごはん〉ご飯180g、和風ハンバーグ、フライドポテト、なすと玉ねぎの煮物、スナップエンドウ胡麻和え、黒糖まんじゅう

 

○7月22日(土) <入院5日目>

大部屋移動の翌日、なんとすぐに11,000円の個室が空いたということで、運よく移動できることに!

やっぱり個室は良い。

医療保険に入っていて本当に良かった。

たった1日だけでしたが、空調の効いた大部屋の中で、カーテンにぐるっと囲まれたスペースで1日中過ごすというのは、天候も、時間の感覚も、世の中の動きも全く分からないため、とても息がつまるなと感じており、窓があり、外の景色が眺められるというのは幸せなことだと実感。

午後に看護師さんが包帯の巻き直しににきてくれた。

ひざ下の赤みは随分と引いてきて、指先はもう普通の太さになった気がする。

生理食塩水で洗浄して、軟膏を塗ってくれたのですが、この足の下に敷いている吸水シート、これの吸水力はほんとにすごいですね。

これ1枚で500mlの水を吸い込んでしまいました。

そして、丁寧にかつ一生懸命作業をしてくれた看護師さんには感謝しかありませんでした。

 

個室に移動し、病室内は常に冷房が効いていて、毎食後にアイスではなくホットコーヒーが飲みたくなってきたのですが、これまたコロナ対策ということで、フリーで飲めるお湯は撤去されてしまったとのこと。

そのため、温かい飲み物を飲みたい場合は、コップに水を入れ、それを車椅子に乗って共有スペースまで持っていき、そこに設置されている電子レンジで温めて持ち帰ってこないといけなく、毎回それをするのがなかなか大変なので、妻が電気ケトルを買ってきてくれた。コンセントはあるので、これでいつでもホットコーヒーが飲めるようになりました。ありがたい。


 


 

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、つみれのあんかけ、ツナえんどう、みそ汁、ゆずみそ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、鶏肉のてり煮、いんげん胡麻和え、じゃがいものバター焼き、もやしのナムル、杏仁豆腐
〈夜ごはん〉ご飯180g、鰆の照り焼き、焼きナス和え、大根と油揚げの煮物、春雨サラダ

 

○7月26日(水) <入院9日目>

午後に先生がみえて、二日後の手術ができる状態かどうかの最終チェック。

随分と腫れもひき、水疱もなくなり、傷口がじゅくじゅくしている感じもなさそうなので、二日後の手術はできるという判断に。

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、大根と鶏ミンチの中華煮、みそ汁、海苔の佃煮、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、サバの味噌煮、生麩と玉ねぎの炒め煮、きゅうりと人参の中華風酢の物、黒糖まんじゅう
〈夜ごはん〉ご飯180g、鶏肉の胡麻風味揚げ、もやしのお浸し、煎り豆腐、チンゲン菜のおろし和え、スイカ

 

○7月27日(木) <入院10日目>

いよいよ明日が手術。

それほど緊張しているという自覚はない。

手術前の注意事項の説明があった。

明日の13時から手術ということで、水分はその4時間前(午前10時)、食事は6時間前(午前7時)までに摂取し、それ以降は手術(13時~17時までの予定)が終わった4時間後(午後9時)まではいっさい口にできない。

なので、お腹は空くだろうし、喉も乾くと思われる。

いつも朝食が配られるのは午前7時過ぎ、お昼ご飯は当然食べられず、晩ごはんは配られる時間はまだ食事が禁止されている時間なので、手術日当日の病院食は止めてもらい、朝食用のパンと、解禁されてすぐに食事ができるよう、妻がおにぎりを2個用意してくれた。

いよいよ明日、手術当日なので今晩はしっかり寝よう。

  

〈朝ごはん〉ご飯180g、厚揚げのおかか醤油炒め、スナップエンドウ、みそ汁、ふりかけ、牛乳
〈昼ごはん〉ご飯180g、ハッシュドポーク、メンチカツ、サラダ、マヨネーズ、ももゼリー
〈夜ごはん〉ご飯180g、鯵のレモン焼き、カリフラワー、五目煮豆、人参サラダ、ヤクルトカロリーハーフ

骨折、入院、手術の宣告<下山中に足首骨折>

翌朝、近所のクリニックで一番に診てもらった。
レントゲンを撮り、診断の結果、

医師:「骨折です、しかも二か所かな」
 私・妻:「えっ!?骨折?」
医師:「手術かな、手術です」
 私・妻:「えっ!?手術?」
医師:「二か所、ズレが大きくなっているので。もしかしたら骨折した直後はこんなにズレがなかったかもしれない。どうしても下山せざるをえないから、ズレてしまったのかな」
「表面に水泡があるので、これが引くのを待ち、皮膚の状態が落ち着いてから手術ということになると思います」
「よくこの状態で下山してこれましたね」

会社が繁忙期で、いろいろと立てこんでいた私は、このタイミングで引き継ぎもなく会社を休むのはまずいと思い、

 :「今日、会社は行けないですか?」

と質問したところ、先生があきれ顔で
医師:「う~ん、結構大きな外傷です」

と一喝されてしまった。

ということで、大きな病院に紹介された。

 

■大病院での診断結果

その日の午前中に救急外来のある大病院に紹介され、受診の結果、そのまま午後から緊急手術の予定となった。手術のため、再度レントゲンや、CTなど、ひととおり検査が終わり、診断されたのは「両果骨折(りょうかこっせつ)」。
右足くるぶしの内側が「内果(ないか)」、外側が「外果(がいか)」この2か所が骨折しているので、「両果骨折(りょうかこっせつ)」。

 

CTで思っていたよりは骨のズレがないということが分かり、即日の手術は中止となった。

入院して、足の腫れが引くのを一週間ほど待ってからの手術予定となった。

内果(ないか)と外果(がいか)は明らかに骨折してズレてしまっており、厳密に言うと後果(こうか)という、かかと側も少しヒビが入っている「三果骨折(さんかこっせつ)」と言っても良い状態とのことでした。

高いところから転げ落ちた訳でもなく、その場で転んだぐらいの感覚だったのに、ここまでの骨折をしてしまうのか。
大きな怪我なんてしたことがなかったので、自分は頑丈にできているなんて思っていたが、もうアラフィフ、それなりに年老いては来ているのでしょう。

 

医師:「入院生活は2週間から1ヶ月程度」
「足の腫れがあると手術後に縫合しても、なかなか皮膚がくっつかないため、まずは足の腫れが引くのを待つ」
「その後手術をし、松葉杖で問題なく動けると判断できれば退院」
「脊髄くも膜下麻酔により、下半身に麻酔をかけて手術する予定。背中に刺すときだけ少し痛いかな。基本的に安全な麻酔だが、人によってそれぞれ違うので、まれにしびれが残ってしまったりすることもありうる」
「両くるぶし部分を切って、プレートを入れ、ボルトで止めていく手術になると思います」
「術後は4週間ほどギブスで固定」
「手術後の感染だけは気を付けたいところ。それが一番避けたい。地面に近い部位なので、手などに比べてややバイ菌やウィルスによる感染リスクは高くなる場所」
「術後の経過によっては、再度手術が必要になったりもする場合もある」
静脈血栓塞栓症エコノミークラス症候群を防ぐためにも、血液をさらさらにするような点滴をする場合もある」
「足の関節なので、手術を無事に終えたとしても、今までと全く同じように動かせ、運動できるようになるかというと、それは難しいかもしれないので、そう割り切ってリハビリを頑張ってもらうと良いと思う。ちょっと動かしづらいだとか、違和感が残るようなことはあるかもしれない」
「身体抑制について。全身麻酔の場合、麻酔から目が覚めて暴れだすような人もまれにいるので、その場合は抑制させて頂きます」
「あまり出血の多い部位ではないですが、輸血の可能性もあり」
「後果が折れていると、さらに大変な手術になるが、そこまででないものの、2番目に重症な骨折の状況です」
「長く歩いたことによって、腫れもひどくなってしまったかもしれない」

と、主治医の先生からたくさんの説明を受け、即日入院となりました。

入院前の検温で発熱があったため、コロナ検査の結果が出るまで、一時的に大部屋ではなく、個室に入れてもらえることに。
こうして入院生活が始まりました。

双六岳で転倒、そして骨折<下山中に足首骨折>

一泊二日の、楽しい小屋泊登山。

今までたくさん行った山旅の中でも、今回の双六岳が一番美しく、ここにこれて良かったと思える場所だった。

初日は曇天ということもあり、気温で体力が消耗するようなこともなく、多くの人が「キツイ」という双六岳までの行程を我々夫婦が無事にたどりつけるのかと心配していたが、なんなく双六小屋までたどりつくことができた。

翌朝は、暗い中からヘッドライトをつけて双六岳の「天空の滑走路」を目指す。
登る途中、徐々に焼けてくる東の空が美しい。

そして天空の滑走路で眺める朝日。

 

ほんとうにここに来られて良かった。
槍ヶ岳をここまで近くに感じたことはない。

 

スマホのズームを使用した圧縮効果で、大きな槍ヶ岳をバックに歩く妻をとらえることができた。
最高の映像が撮れたな。
最高の双六岳を楽しみ、あとは下山するのみ。

山の谷間に見える双六山荘を振り返り、ほんとうに秘境だな。
人間の足はこんなところまで歩いてこられるんだなと、自分たちの力にも驚く。

行きは曇天で分からなかった、特等席の花見平を過ぎ、弓折乗越を過ぎ、無事に弓折岳も下り、鏡平山荘に到着。

今日は暑いので、行きは食べなかったかき氷を頂く。
宇治金時がうまい。

そして行きには拝めなかった、鏡池に映る逆さ槍ヶ岳も映像に収めることができた。
その後順調にシシウドヶ原まで下ってきた。

 

◾️転んでから

 

そしてシシウドヶ原をスルーして、すぐの下り斜面、ここでなぜか転んだ。

なぜ転んだのかは分からない。

大きな岩や、ザレたところもなく、木の根もなかったと思う。
が、倒れこむ瞬間に、足から変な音がしたような気がした。
これもはっきりと記憶にはないが、なにかに足首がはさまったまま、崖側に横向きに倒れこんだような気がする。

グギッ!

あっ、これはやばいかも。
強くひねってしまった。

痛みですぐに起き上がることもできず、妻が起こしてくれようとするのを、「ちょっと待って」と言い、自分のペースでゆっくりと立ち上がってみる。

なんとか立ち上がることはできた。
でも、すぐには歩けない。
足首をねんざしてしまったと思った。
でも、しばらくすると痛みは引いてきて、足を水平に保っていればそこまで痛くない。
トレッキングポールを杖代わりに、これならなんとか自力で歩いて下山できそう。

妻が持っていたテーピングで足を補強してくれた。
テーピングなんて自分は持っていなかった。
備えは必要だな。


 

 

通りがかりのおばさまが声をかけてくれる「心得ありますか?やってあげようか?」と。
ありがたい。

その後、何人もの登山者が声をかけてくれ、「テーピングあるよ」「痛み止めあるよ」「荷物持とうか?」「使い古しだけどこのサポーター使ってください」「湿布良ければ使ってください」「気をつけて頑張ってください」


 

とてもたくさんの人たちが躊躇なく声をかけてくれる。

「これって、見返りを期待しない、無償の愛だよな」なんてことを考えながら、人の優しさに触れ、励まされ、なんとか下っていく。

妻は私のザックからほとんどの荷物を取り出し、自分のザックに詰め込んでくれた。
この双六登山の序盤には、「ザックが重たいから調子悪い」などと言っていた妻が。

このひとつ前に行った爺ヶ岳の下山時、疲労でかなり足が痛くなっていた妻、その時に妻のザックから荷物をすべて自分のザックに移すという行動ができなかった自分がとても恥ずかしい。
だらしない。本当に後悔している。
自分はなにをやってるんだ。

こういうことをサラリとできてしまう妻はほんとうにかっこいい。
感謝しかない。

一歩一歩。

痛めたのは右足。
なので、下りで衝撃を与えるといけないかなと思い、最初のうちは段差を降りる際には、左足から降りていた。
でも、少しでも右足首が斜めや、正面ではない向きに曲がると痛みが走る。

人間の骨格というのは複雑にできているのか、左右の足を順序良く前へ出すには、後ろになった足の足首は少しひねられるんだというのが分かった。
左足から降りるには、右足首は少しねじらないといけない。

右足首の角度を変えないように段差を下るには、その右足から降りるしかない。
ということで、両手にトレッキングポールを持ち、ポールでしっかりと体重を支えつつ、右足を下ろしすぐにに左足を下ろす、のように下っていくとなんとか痛みもなく下っていくことができた。
ただ、普段の生活ではなんともない数センチ程度の段差でも、この足首はなかなか言うことを聞かない。

普通階段を降りる際は、右、左、右、と交互に一段ずつ降りるが、今の状態は、右左で一段、右左で一段、いつもの倍のスピードがかかる。

妻は私を気遣って「休憩しようか」と促してくれるが、休憩している時間はない。
このペースでは日が暮れてしまう。
それに、ペースがゆっくりなせいか、そこまで体力は消耗はしていない気がする。

ひとつ気がかりなのは水分が足らないこと。
こんなペースでの下山は想定していなかったので、残りの水分が少なくなってきている。
普段の生活ではあまり水分を摂取しない私。
一方、妻は頻繁にお茶を飲んだりする。
そんな妻が、私に水分を摂取させようと勧めてきて、自分は大丈夫と飲まない。
そんなのやめてくれ。

大げさかも知れないが、自分を生かすために妻が犠牲になるなんて、まっぴらだ。
これはどちらか一方が助かれば良いということではない。
二人一緒に無事に下山をすること。それができなければなんの意味もない。

それが我ら夫婦である意味だと思う。
お互いの事は気遣い、お互いが無事であって欲しいと願うが、その結果どちらかが欠けてしまっては意味がない。
2人でひとつ。

登りで、水量の多いチチブ沢を通って、涸れ沢を2個ぐらい通ってきた記憶があるが、その涸れ沢が三つもあったかな?と、道のりを遠く感じる。

トレッキングポールに全体重をかけるので、支える手のひらが痛くなってくる。
持っていたハンカチをクッション代わりに当てる。(数日後、ポールを支えていた両手のひらに水膨れができていました)

途中途中で休憩を取り、口を潤す程度に水分を口に含む。
妻は相変わらず要らないと拒む。
頼むから俺のためにも飲んでくれよ。

最悪の最悪は、沢の水を飲むしかないが、やっぱりちょっと嫌だな。
昔妻と2人で読んだ遭難日記が強烈に刷り込まれてしまっているから(沢の水を飲んだ遭難者のお尻から後日、寄生虫が湧いてきた)
こういう時のために、浄水器を買おうかなとも思った。


 

徐々に日が傾いてくる。

登山での遭難事故というのはこういうことで起こるのか。なんてことも思ったり。

ヘッドライトは持っているし、レインウェアもある。エマージェンシーシートもあるから、なんとかしのぐことはできるのではないか。


 


 


 

でも、少しずつ、登山道入り口の橋が近づいてきているのが見える。
なんとか日没前には下山できそうな気がするから、とにかく一歩一歩進むしかない。

自分のせいで、妻を危険にさらすわけにいかない。

途中、妻がザックを背負い直すのが見える。
絶対に重たいよね、そのザック。
ごめんねそんな思いをさせちゃって。

絶対に二人で無事に下山しよう。

日が陰ってきて少し不安になったのは、野生動物。
熊は日中もいるので、夜行性というわけではないと思うが、もうほとんどの人が下山し、人気のなくなった山奥に自分たちだけがまだいるというのは、やはり熊との遭遇率も高くなってしまうかと思い、熊鈴をしっかりと鳴らすようにする。

今の状態で熊に襲われたら、立ち向かう前に自らよろけて自滅してしまう。
きっとこれで熊が出ようものなら、妻は強い人なので私をかばってくれようとしてしまうだろう。
それで妻が傷つこうものなら、もう本当に後悔しかない。
こんな山にこなければ良かったと思ってしまう。
とにかく熊は出ませんように。

熊鈴をリンリン鳴らしながら歩く。


 

そうして登山道入り口までなんとか降りてきて、あとは平坦な道。

とはいうものの、この負傷した足首にとっては小石も強敵で、小石の上に乗って足首の角度が変わってしまうと痛みが走る。
なので、平坦でもなるべく石のないところを選んで歩く。

わさび平小屋までの平坦で、まっすぐな道。
段差の道よりは、多少ペースも上げて歩けるものの、とても長く感じる。
あとカーブを曲がれば小屋が見えてくるかな?
いや、見えてこない。

直前ですべての水分を飲み干してしまったので、わさび平小屋についたら水分補給をしたい。
そして時間は17時前。
ようやくわさび平小屋が見えた。

水分も欲しいし、なにか食べたい。
注文締め切りが17時までだとダメだからと、重たいザックを背負ったまま妻が小屋まで走ってくれる。
もう泣けてくる。なんて不甲斐ない自分。

注文はまだできると確認して、自分のザックを置いてまたこちらへ駆け寄ってきて、今度は私のザックをもって走っていく妻。
途中追い抜かれた若い男の子でさえ、普通に双六から降りてくるだけでも疲労困憊していたのに、ほぼ二人分の重量を担いで降りてきてくれた妻が走る。

私がだらしない時にはすごいパワーを発揮してくれる妻。
ほんとにありがたい。
この恩は必ず返します。

そしてようやく、わさび平小屋のテーブルに腰掛けることができた。
我々よりも遅くに到着したグループも数人。
ああ、まだ人がいるんだねと安堵した。
でも、もうだいぶ薄暗い。

普段はほぼ飲まないコーラをここではチョイス。
甘さと炭酸が体にしみる。うまい。
そして妻が注文してきてくれた、わさび平小屋名物のそうめん、美味しかった。
妻が頼んだラーメンはチャーシューが美味しかった。

さて、休憩もできて、水分補給もしっかりできた。
あと少し頑張ろう。

ここから駐車場入口までは舗装路も出て来て歩きやすいはず。
そう思っていたが、舗装路でも傾斜はある。
傾斜が少しでもあると足首の角度が変わって少し痛む。
それでもデコボコ道よりは全然歩きやすいので、なんとか辿り着けた。

そして駐車場へ続く道に到着したのは19時過ぎ。
でも、なんとか2人無事に下山することができた。
妻は私のことをよく頑張ったと言ってくれた。
いや、それ以上に妻が頑張ってくれた。
私は妻の頑張りに甘えていただけ。
本当にありがとう。
大変な思いをさせちゃったね。
ごめんね。

車に到着し、着替えを済ませ、いつもは自分の運転で帰るところを妻が運転してくれる。
骨折が左足だったら、運転まで妻に頼ることはなかったのに。
ここでもごめん。

登山からの帰り道では、いつも途中から車の中で寝てしまい、家に到着したタイミングで目を覚まし「魔法だ。もう家にいる」なんていう、そんな妻が好きなのだが、今日は最後まで妻に頼りっぱなし。

途中コンビニに寄ってロックアイスを買ってくれ、私の足を冷やす。
そこで初めてテーピングを外して自分の足を見た。

めちゃくちゃ腫れて、内出血してる。
表面に水泡がいくつか出来ていて、思っていた以上の見た目の派手さにちょっと衝撃を受けた。

まあ捻挫程度でしょうと思っていたので、帰って湿布貼って寝れば翌日も朝から会社に行けるわ、なんて軽く思っていましたが、なんだか見た目はだいぶ酷い。

最初は捻挫だとなめていた私も、見た目の衝撃に、ちょっと病院に行った方が良いかなと思い始め、妻の強い勧めもあり、とりあえず翌朝に病院に行くことにした。

そうして無事に家に辿り着き、私を車から降ろし、「あとは全部やっておくから、もうシャワーだけして寝てて」と言ってくれる妻。
シャワー後の私の足に湿布を貼ってくれ、たくさんの荷物を車から降ろし、洗濯もしてくれている妻。

 

【閲覧注意】!この後、怪我の画像が出ます!

ほんとに何から何まですみません。

私は死んでしまったわけではないので、例えとしては適当ではないかも知れませんが、

「災害で行方不明になった方を見つけだして、亡骸を家に連れて帰る。」
なんだか、これに似たような愛を感じた。

「自分の魂を家に連れて帰ってくれた」と。
感謝しかない。


ありがとう。